昨日の朝起きて携帯のLINE NEWSを見たら、「志村けん死去」の文字が飛び込んできた。息を引き取ったのは東京に季節外れの大雪が降った日の夜だったそうだ。
それは何とも言いようのない「ショック」でした。昨日一日は日本中がショックで仕事が手につかない、そんな一日だったように思います。友達ともその話でやり取りをするも、無念すぎて会話もつながらなかった感じ。
昨日は何だかすごくもやもやしたまま、朝から湯船にお湯を張ってお風呂につかりながら色んな事を考えました。
この数か月、コロナをきっかけに、世界中の色々なところで人も国も仕事も経済も政治も医療も全てが洗濯機の渦に投げ込まれたみたいにひっくり返ってるように感じる。早い渦の中から何をどんな順番で救い出せるのか、どんな風に冷静になれるのか、どんな優先順位をつけられるのか、どんな取捨選択ができるのか、、、全てが試されているんだと思います。ひとりひとりが試されている。
平和だと思っていた世の中が(平和ボケ、に近いようなところもあったと思う)急に戦争中の状態、みたいになっている。戦争なら、だれが敵なのか明確だし、政府や世論の方向性も明確だけど、今回は違う。一人一人がこの渦巻く情報の中で、有益な情報とガセネタを見極めながら、取り入れるべき情報を取捨選択しながら、自分と自分にとって大切なものを守らなくてはいけない。政府も国も人々も世の中もみんな恐怖と不満の中で色んな情報を出してそれに踊らされる。なんだか、実際のウイルスよりもそういう現象の方が怖い。
ふと、飛行機に乗った時に必ず見せられるセーフティビデオを思い出した。緊急時は天井から落ちてくる酸素マスクを鼻と口の上に充てましょう。その際に、「まずは自分のマスクを装着してから、子供のマスクを装着を手助けしましょう」と言っている。つまり、全員がまず自分の身の安全に責任を持って自分の安全を確保してから、次に大切な人の身の安全を考えるのが基本なんですね。一見自分勝手なように思えても、ちゃんと考えれば「自分の安全をまず確保する」事がとても大事だと思う。その方が、安心して冷静に行動ができるし、100%のパフォーマンスで他人を助けられる。コロナの場合はウイルス感染なのだから、全員が、他人に対して加害者にも被害者にも成り得る。それが大切な人に対してでも、そう。だったらやっぱり自分がまずできること、感染しないよう全力で努力するために、①出歩かない ②人と接触しない ③手を洗う、うがいをする、持ってるならマスクをする、などを徹底するしかないよね。自分の安全を守ることがひいては他人の安全にもつながるから。
想像する力=最悪な事態も、終息するための工夫も、全てを想像できるイメージ力も試されていると思う。3か月前に、誰がこんな世の中を想像できたでしょうね?たった3か月でこの世界はひっくり返ったよね。そして日本よりもっと地獄のような事態になってしまった国もあるのに、それは自分達の2週間後の状態かもしれないのに「明日は我が身かもしれない!」と受け止めないでいられる想像力のなさが怖い。よその国はよその国のこと?じゃないよ。同じウイルスが同じ人間のいる各国を駆け巡っているんだから。
今自分たちにできることはこんなにシンプルで明確なのに、それをしないってどういう民度の低さなんだろう?「家にいろ。動くな。」ってメッセージも伝えられない国のリーダーって何のリーダーなんだろう?どんなに想像力乏しいの?
だから、酸素マスクの話と同じで自分の身は、ひとりひとりが自分で守るしかないのですよ。
毎日起きて、今日も元気に目覚めたことに感謝をする。熱も出てなくて、咳も出ていないことに感謝する。毎日家の窓を開けて換気して空気を入れ替えて、家で出来る仕事をして、掃除をして、洗濯をして、冷蔵庫や冷凍庫にあるもので美味しいご飯を作って、美味しくいただく。一緒にごはんを食べてる家族が元気な事に感謝する。猫も幸せにいつも通りゴロゴロして食欲旺盛なことにも感謝だにゃん。ネットやニュースで新しい情報を収集して、今は会えなくても一緒に住んでいない家族や友達に電話やLINEをして安否確認をする。こんな便利な時代なんだから、クリエイティブに動けば、物理的接触を避けながら励まし合って元気にこのクライシスを乗り切ることはできるはず。
ウイルスもクラスター感染するけど、ポジティブな思考だってクラスター感染するはずだから、私はこういう大変な時こそ、自分の周りの人たちには「免疫力高めクラスター」でいてほしいし、楽しい事や有益な情報を回覧し合っていきたいと思う。笑いや、ユーモア、ふざけたこともこんな時こそより大事!こういう、時間がある時だからこそ優雅に時間をかけてできることもあるし、いつもは後回しになるようなことも楽しんでできるじゃない。外出も控えたいから外に買いに行かないで家でパンを焼いたりもできる。ごちゃごちゃになっていた引き出しの中の整理もできるし、いらないものを整理して捨てたりできる。クロゼットの着ないものを整理して断捨離したぶん、お出かけできるようになったら新しい服を買える。(別に試着なしで買える服ならネットで今すぐも買えるしね)
お財布にあんまりお金がない時の方が、それなりにお金を持ってデパートに買い物に出かけた時よりも、欲しいものが沢山めにつくものなんだって。つまり今みたいに社会的に行動に制限が掛かっている時のほうが、人間は自分の欲しいものややりたい事が大きく輝いて見えるものなんだそうですよ。
それって言い換えてみると、今という時期こそ「自分が本当にやりたいと思っていることや、本当に欲しいものに気が付ける機会」ってことじゃないかなあ。「コロナが終息したら、こんな事がしてみたい」「コロナが終息したら、転職してフリーになろう」とかもしかしたらこの時間がたっぷりある期間で気づいて、軌道修正できるのかもしれない。だとしたら、この時期は素敵なキッカケになる良い自粛機会なのかもしれないよね。
世界中の全ての人が今公平に直面しているクライシスだからこそ、どう過ごすのかは一人ひとりのクリエイティビティとセンスと思考にかかっている。文句を言ったって誰も何もしてくれない。自分の事は自分で責任もって守る、勇気づける、楽しませる。
志村けんの死は、一日経った今日でも変わらずにショックだし無念だけれど、でも志村けんの事が面白くて大好きだった全てのひとにとってコロナの恐ろしさは「じぶんごと」になったと思う。私たちはみんな東京にいて2月も3月も出歩いていたんだから私たちの誰かから志村けんにコロナをうつしたかもしれないんだから。同じように、最愛の人に知らずにうつす可能性があると想像すれば、自ずと自分の生活にも行動変容が起きてくるはずです。
だから、まずは自分の酸素マスクをつけて、自分のポジティブな思考を整えて、そこからポジティブを自分の周りの人に連鎖していこう、ってそう思います。今はきっと人生の「棚卸」期間なんじゃないかな。制限はあるけど、その分この生活の中で自分が感じることや自分にとって大切なものや人や事柄を見つめなおしたり受け止めたり、書き留めたりする有益な時間にしたいと思うのです。
きっとすべてが終息したら、世の中のいろんなことは変わっていくのだろうと思うとわくわくします。
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